image: 家庭での幻燈会をモチーフとした明治時代の料理屋の広告チラシ(引き札)
"Schwelle" によせて
眼ニハ明カニ見エネドモ虚実皮膜ノ淡イ月影・・・・・・・・・・・松本夏樹(図像学)
二宮知子作品 Schwelle は、ペインティングされたガラススライドを古い幻燈機によって映写幕の表面に投影した、
ファントムの如き一連の像から成り立っている。それはまさに虚実皮膜の間、境域の幽かな在処をか細く頼りない燈火
を通して垣間見させるのであるが、そのことはまたガラス表面に皮膜としてではあれ確かなモノとして在る顔料の色と
形が光の透過によって境域の彼方に雲散霧消し、再び幕面に立ち現れる過程そのものでもある。暗闇に眼が慣れぬ内は
見えてこないこれら一連の微かな像は、在るでもなく無いでもないモノの出現、かつてH・コルバンがイスラム神智学
に即して現界とイデア界の間の半実在界を指して呼んだMundus Imaginalis(想像界)に住まうモノたちの影法師なの
であろう。 Schwelleに用いられる小型幻燈機は明治時代の家庭の玩具であった。18世紀中葉に渡来したLanterna magica(幻燈) は、日本独特の木製幻燈機(風呂)を複数台使い写像を動かせる仕掛けガラススライド(仕掛け種板)を用いる幻燈芝居 「写し絵」へと発展し、江戸末期から明治にかけて常設劇場が出来るほど栄えた。明治初期に再度西洋幻燈が渡来して、 維新政府の文明開化啓蒙教化の利器として見直されたが、やがて幻燈製造業者による巡業上映「教育幻燈会」により広く 知られるようになり、明治20年代以後、安価なブリキ製幻燈機やガラススライド「種板」が作られて家庭でも楽しまれる ようになった。無論各家庭への送電は未だなく、光源は灯油ランプであったが、それでもほの暗い行燈や蝋燭の明りに 慣れていた当時の人々にとって、闇に現れる像は現在の我々には想像もつかぬ程鮮烈であった事だろう。 とは云へその鮮烈さは、文明開化の光量に依るのではなく、普段住み慣れた家屋の薄暗がりに現れた幻たちが招き寄せる、 想像界に起因するものであったことは、あの、明治期の幼児体験以来、終生光学装置や幻燈に魅せられた江戸川乱歩の 座右の銘「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」がよく示してもいるのである。 |
二宮知子展
−彼方にいる人々へ−
-参考展示- 「日本の幻燈」 松本夏樹コレクションより